渋谷のラジオ「認知症なっても展 特別番組#3」レポート

認知症の当事者として、よりよく生きていくために

3月21日(日)のテーマは「備える」。登場してくれたのは、宮城県にお住まいの丹野智文さんです。よりよく生きることについて、認知症の当事者としてのお話を伺いました。

思いもよらない認知症の診断。失意の底から救ってくれた、同じ認知症仲間との出会い

39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野さん。当時は自動車販売会社のトップセールスマンでした。見知った同僚の顔が認識できなくなるなどの異変は感じていたものの、ストレスによる一時的なものだと考えていたと言います。しかし、症状は悪化する一方。複数の病院での入院・検査を経て、認知症と判明します。診断名を聞いた時は、目の前が真っ暗になりました。

絶望の毎日を過ごした丹野さん。偶然参加した認知症当事者の集いで、人生を変える出会いが訪れます。

「認知症を発症すると、2年で寝たきり、10年で亡くなる」

自分が得ていた情報とは異なる、元気な当事者の姿がそこにありました。
「自分もこうなりたい」と希望を見いだせたのです。

薬の副作用もあり、診断直後は涙も止まらなかったといいます。しかし、仲間と触れ合いつながるうちに、いつしか安心して心から笑えるほど前向きになれていました。

丹野さんは今も同じ職場で仕事を続けています。途方にくれていた丹野さんを再びあたたかく迎え入れてくれたのです。現在、丹野さんは事務。営業時代からの習慣であるノートへのメモ書きを詳細にするなど、自分も周囲も安心して働ける工夫を重ねています。

笑顔で毎日を過ごせる源は、仲間とのつながり

丹野さんと同じく、認知症を公表している漫画家の蛭子能収さん。
蛭子さんが感じているような、発症前後の日常生活の変化はあったのでしょうか。

「認知症になってから、180°人生が変わった」と丹野さんは言います。暮らしの内容というよりも、変化したのは物事の捉え方です。何事も失敗前提。悲観的になるのではなく、前向きに挑戦し続けられるようになりました。

確かに、病状は日々進行しています。しかし、お互いに「困った」を言い合える仲間の存在で、毎日笑顔で楽しく過ごすことができるのです。

「認知症」で人は変わらない。仲間との出会いから得た備えがあればいい

丹野さんは、「支援する・される」という考え方は適切ではないと考えています。
お互いに人として尊重し合う。必要なのは、普通のコミュニケーションと同様です。

認知症と診断されたとしても、その人自身が変わってしまうわけではありません。先に乗り越えてきた仲間がいれば、自分にとって必要な対策が把握でき、安心できます。認知症は人それぞれ症状が異なるからこそ、多くの仲間との出会いが様々な症状の理解につながるのです。

家族や周囲には、発症前と変わらない態度で接してもらうことを求めています。先回りするのではなく、困っていることだけをサポートしてください。症状に関しては理解し、認める。心配ではなく、信頼が必要です。

認知症にならないことに主眼を置くのではなく、認知症に安心してなれる社会へ。
前向きに、主体的に。認知症の当事者として、より良く生きていきましょう。